どうもです。
ギリギリです。
オーストラリアに来て10年が経ちました。
今日はこの10年の間にしたこと、学んだこと、思ったことなどを思い起こしてみようと思います。
今回はワーホリと学生時代を振り返ります。
Index
10年経った
10年と聞くとかなり長い年月のように思えるけど、実際はあっという間でした。
ワーホリ2年、大学生2年、社会人~
という流れで現在まで続いています。
ちなみに渡豪前は、日本でシステムエンジニアをやってました。
オーストラリアは初めての海外の国(現時点で唯一の国でもある)。
初めての海外生活ということもあってか、大学生活で経験したことよりワーホリで経験したことは多かった。
だから、ワーホリ中に学んだことの方が多いです。
ワーホリ&大学生時代の経験
ワーホリでの目標は大きく2つ。
- TAFEに行けるだけの英語力を身につける
- TAFEに行くための学費を貯める(後に大学進学へ変更)
そしてワーホリ、学生通じての目標は、ソフトウェア開発者として働くこと。
これらを達成するために、働きつつ英語を勉強し、いろいろ経験しました。
- 電気が通ってないジャングルみたいな場所にWWOOFで住み込みし、サイクロンで倒れた木の一部(重さ100kgぐらいある丸太)をどかす仕事をしたり、
- その仕事の雇い主がビーガンで、飯はすべて植物由来なので2週間で体重7kg減ったり、
- ファームで風邪引いて熱出したら他の人たちに移るからと、真冬に埃で真っ白な(まじで真っ白)暖房器具のないキャラバンに押し込められた挙げ句、働く気がないと言われて終電がとうに過ぎた真っ暗な無人駅に放り出されたり、
- バナナファームで手の平くらいの黒い蜘蛛が左肩から顔に向かって歩いてきて叫んだり、
- ファームジョブのために、真夏なのにエアコンのない無数の蚊が飛び回る掘っ立て小屋の中で生活したり、
- 韓国人5~6人に竹島についてどう思うか聞かれたり、
- ワゴン車の中でドイツ人二人と3人で生活したり、
- 当然風呂がないのでケトルでお湯沸かして水と混ぜて体洗い、オフィスに忍び込んでWi-Fi勝手に繋いでググりながら英語勉強したり
- ケアンズに皆既日食見に行ったり、
- メルボルンにF-1見に行ったり、
- 気温約3度の巨大倉庫で30kgの牛肉が詰まった箱を毎日数千個投げたり、
- ワーホリの頃仕事時間以外は常に英語の勉強していて遊びにいかず誘いにもほとんど乗らなかったので、「何であいつはあんなに毎日勉強ばっかするのか。人と会話した方が英語の勉強になるのに」と影で言われたり、
- でもその勉強のおかげで大学入学レベルまで英語力上げれたり、
- 大学時代金がなくて、ご飯とソーセージ(22本で当時7~8ドル)だけとか、コールスに売っとるBeef noodles(5食一袋で当時1ドル)とか、チーズと醤油かけたご飯食ってしばらく暮らしたり、
- 鉄板焼屋でもらった余った食材や賄いで凌いだり、
- 同じ授業を取る友達と授業終わりに課題やったり試験勉強したり、
- 初めての英語のレポート書くのにめちゃくちゃ苦労して、結局ひどい点取ったり、
- ガーリックブレッドを作る工場で働いたり、
- 鉄板焼屋で焼きそばとかチャーハン作ったり、
- 木の苗木を育てるファームで仕事中倒れて救急車で運ばれたり、
- サラダを作る工場で毎日3~5トンの野菜を切る仕事をしたり、
日本では経験したことのない事や世界を多く経験しました。
オレのワーホリは”ホリ”の部分がほとんどなかったです。
目的達成のために仕事と勉強ばっかしてました。
”ワースタ”とでも言うべきか。
そして、ワーホリと学生時代にはいろんな人に助けられました。
周りの人の助けがなかったら、今の自分はいません。
この経験は結構大きくて、これがきっかけで寄付を積極的にしたり、難病を持つ子どもたちを助けるボランティア活動に参加するようになりました。
ワーホリ、大学生時代に学んだこと
挙げればいろいろあったんですが、
これらの経験を通じてワーホリ、学生時代に学んだことをまとめてみました。
太字は、当時学んだこと、経験を通して特に大事だと思うことです。
- 稼げる時に稼ぐ
- 次の仕事、いい仕事が(すぐに)見つかるとは限らない
- いつ病気や怪我で働けなくなるかわからない
- 自分ができることに集中する
- 日本人の仕事感とその他の人の仕事感は違うことがよくある
- 日本人の「仕事頑張る」と他国の人の「仕事頑張る」のレベルの違い
- 実例)時給安いからこれだけやれば十分といっていい加減にやる、完了しない
- 良くも悪くも、日本や日本人同士で通用するであろうことが通用しないことは多い。不真面目な相手に自分のレベルまで上がることを求めてもイラつくだけ(特に仕事中)
- 他人はコントロールできないが、自分はできる
- 他人が仕事をしないこと(またはできの悪さ)に意識を向けたままにせず、自分がその時できる事、すべき事に集中する
- 別に怒ってもいいし文句を言ってもいい。ただ、それに気を取られすぎるな
- 問題のある同僚は上司に相談するなどして対応を任せる
- どうしても嫌なら辞めてもいい
- 日本人の仕事感とその他の人の仕事感は違うことがよくある
- 自分の身は自分で守る
- 低品質のサービスや製品は多い。「プロ」に任せる=うまくやってくれる、ではない。自分もそれなりの知識がないと損をする
- 自分の主張を通すために平気で嘘をつくやつが多数いる。言うことを常に真に受けてはだめ、自分で考え、声を上げ、身を守る
- 必要な知識を身につけることが身を守ることにつながる
- 実例)家の退去時ボンドを返してくれ→返す必要はない→怒る→返さない→結局返して「最後には私は正しいことをするから」=怒らなければ返すつもりはなかっただろう
- 声をあげなければいないのと同じ
- 言葉で明確に伝えないと相手に都合のいいように取られる
- 黙々と目立たず働く縁の下の力持ちより、やることやって成果をそれなりに主張したほうが評価されやすい
- 自分から手を上げてやりたい意思を伝えれば任せてくれることもある
- 自分で考え、責任を持つ
- 誰かが言ったから、誰かに言われたから、では通用しない
- 誰かに言われたからといって、それをやっているのは自分であり、自分の意志=自分の責任
- 誰かが言ったから、誰かに言われたから、では通用しない
- 不安と疑問や悩みは違う。区別が大事
- 時間は有限である
- 永住ビザ以外には期限がある。何をするにしても時間を極力有効に使う
- ワーホリビザは本当に貴重なビザ。無駄にするな
- 助け合うことの大事さ
- 自分は大したことをしたとは思わんかもだが、助けられた側は本当に助かる
- まずは自分のことをしっかりする、それでも余裕があれば助ける
当然ですが、日本や他の国でも経験するようなこともあるし、
当たり前やん?というものもあります。
「自分で考え、責任を持つ」とか。
当たり前なことに関しては、体験を通して再認識したという感じ。
ワーホリ、学生時代を通じて、日本人は良くも悪くも周りに合わせる民族だとオーストラリアに来て理解するわけですが、「みんながやっているから」という考えが如何に浅くいい加減なものか。
オーストラリアは個人主義だなと感じるんですが、
この国で、他人に自分の意志や考えを委ねることの危うさを改めて学んだ気がします。
やはり実体験からくる学びは既知のことでも自分の中で重く残ります。
違いから学んだ
上に挙げたことの中でも「自分ができることに集中する」は長い時間をかけて学んだことの一つです。
日本にいた頃からこの考えはあったけど、深く考えたことはなかったんですよね。
でも、これをワーホリの最中一年近くかけて考えることになりました。
ワーホリの頃特に感じたこととして、仕事に対する考え方が違う人がかなり多い。
何でここまで無責任になれるのか、何で仕事するより言い訳する時間の方が長いのか、何でこんなに常識がないのか、何でこんなに馬鹿なのか、などなど。
最初はとにかく苛ついてしょうがなかった。
でも、ある日ふと「何でオレはこんなに苛ついているのか」と考えはじめます。
そこから、そもそも常識とは何か、普通とは何かなどと考えるようになり、
自分の世界の常識や普通と自分の中のそれらとは違う、
それなら自分をそれに合わせるしかないのでは、と考えるようになります。
過程や言葉の選択の違いはあれど、多くの人が似たようなことを経験すると思います。
こういう経験から、オーストラリアは緩いとか気楽でいいという考えが芽生えてきます。
日本での労働環境を経験した人がそう考え始めるのは自然といえば自然かも知れません。
自分も最初はそう考えるようになっていました。
(正直、未だにそう考えることはあるし、実際緩い部分もあると思います)
でも、いろんな人や場所で働いているうちに更に考えが巡り、
何故低い方に自分を合わせるのか、
周りに合わせることがいいとは限らない、
本来どうあるべきなのか、自分の考えはどうなのか、
自分は労働者として何をすべきなのか、
などと考えるようになり、そこから上に挙げた「自分のことに集中する」「自分で考える」などに繋がっていくわけです。
オーストラリアが緩いわけではない。自分が緩くなっている
「水は低きに流れ、人は易きに流れる」といいます。
緩くていい、みんな適当にやっていると思った時、
これを戒めの言葉と捉え、周りに流されず、自分の意志の元自分の思う自分のすべき事をするのか、これを自ら体現する形で証明する側に回るのか。そしてそのまま流れ続けるのか。
易きに流れるのは、オーストラリアがそうさせるのではない。
自分の意志が「易きに流れる」意志だから自然とそうなっていく。
人間誰しもそうです。
でも、どこかで立ち止まり、このままでいいのかと考えられるかどうかで、その先のことが変わってくるのではないでしょうか。
これは仕事に限った話ではありません。
英語の勉強でもそうです。
誘われたから、今日は疲れているから、
昨日十分やったから、みんな喋れないから。
意志なく流され続け、そこに気づけない。
気づいても立ち止まろうとしない。
自分がいまそこにいるのはオーストラリアがそうさせているわけではなく、
自分の意志ではないでしょうか。
意志や目標がある方がより充実する
なんか大げさにいろいろ言ったけど、別に大層なことなんてしなくてもいいんです。
ワーホリやし。ホリなんで。
学生でも、気楽にやればいいと思う。
苦しいだけ、真面目で堅苦しいだけのワーホリ、留学生活なんてしんどいし。
でも、遊ぶにしても働くにしても勉強するにしても、
やはり意志なく何となくするのと、
意志や目標などが明確な状態でするのとでは、楽しさや充実さが違います。
時には手を抜いたりだらけたりしても全然いい。
途中で目標を変えても全然いい。
でも、自分の芯となる部分(意志、目標、考えなど)まで周りや自分の弱い部分に負けて捻じ曲げてしまったり、なかったことにしてしまうのはどうなのか。
そうすることで、ワーホリにしても学生にしても、「やり残した感」や虚しさ、後悔を心の何処かに秘めてその後を過ごすことになる気がします。
もちろん、ワーホリするのに意志や目的なんて堅苦しいもんいらねえというのもありです。
それも一つの意思だと思います。
自由だからこそ難しい
ワーホリビザは本当に貴重なビザです。
働けるし長期滞在もできるしオーストラリア国内どこでもいける。
自分の好きなようにできます。
完全に個人の自由。すべて自分次第。
だからこそ、その自由を無駄に使ってしまうこともあります。
何となく働いて金をため、何となく遊んで、何となく別の都市に行き・・・
そういう時もあるし、それが悪いとは全く思わない。
でも、自由というのは自分次第で楽しいものにもつまらないものにもできる。
完全なる自由は、人や時と場所によっては意外と楽しむのが難しいものです。
下手に自分で行き先を決めるよりツアーのほうが楽しいかもしれません。
全力で楽しむ。自分次第。
自由には、ツアー以上に楽しめる可能性があります。
ワーホリビザは、その可能性を現実のものにできる機会を与えるビザです。
オレのワーホリはホリの部分が少なかったけど、それでもいろいろ経験できました。
これからワーホリに来る人は、いろんなものを体験し見て感じてほしい。
全力で「ホリ」してほしいです。
目標や目的があってもいいし、なくてもいい。
全て自分次第。
そして、思い出を作るためではなく、その時その瞬間を楽しむために時間を使ってほしいと思います。
ワーホリという有限の時間を全力で楽しんでほしいと思います。
次回は社会人になってからのことを書きます。
では!
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