どうもです。
ギリギリです。
今年でオーストラリアに来て10年が経ちました。
今日はこの10年の間にしたこと、学んだこと、思ったことなどを思い起こしてみようと思います。
今回は大学卒業から就職、そして社会人生活開始から現在までを振り返ります。
前回はこちら
大学卒業、初めての就職、転職、現在
大学卒業はそこまで難しくなかったです。
教科1つ1つはそこまで難しいものではなかったです。
ただ、全てのアサインメント(課題)の締切が大体2~3週間の間に一気にくるので、それに間に合わせるのは大変でした。
UNSWとかもっとレベルの高いところにいけば話は違うんでしょう。
就職は運も手伝ってかなり楽でした。
大学卒業が決まって、就活しないとなーと言いつつダラダラしていたところ
大学の教授が仕事を探しているなら雇うけどと誘ってくれて、迷いなく決めました。
職探しするどころか、始める前に仕事の方から自分に来てくれるという幸運。
その約11ヶ月後くらいに転職して今の会社に勤めはじめ、今に至ります。
転職時も最初の就職時も、就活をほとんどせず仕事が取れたのはホントに運が良かったです。
でも一番運が良かったのは、会社が永住ビザのスポンサーになってくれたこと。
実力があっても上司に恵まれなかったり、会社にビザを世話する力がないせいで、永住ビザが取れない人はいます。
オレの会社とマネージャーはその点すごく協力的だったので本当に助かりました。
永住権については後述。
社会人で学んだこと
大学卒業後にいわゆる会社員になってからは、ワーホリで働いていた頃とは違うことを経験しました。
会社員になって初めて見えてくることはやっぱりありますね。
以下は社会人になってから(主に仕事を通して)学んだことです。
- 今できることを全力で(再認識)
- 結果は気にしすぎない。今できること、やるべきことをできる限りやる
- 英語の勉強は時間さえあればできる。毎日やるべき
- 就職は時には運も必要
- 仕事は会社と個人の間での対等な契約で成り立っており、奉仕ではない。
- 個人(労働者)はその能力を使って会社の利益に貢献し、会社はそれに対して金銭を支払う
- 会社と個人どちらが偉いわけでもない
- 傍若無人な上司や自浄作用が働かない会社にはいい人材は集まらない、留まらない
- 実例)上司が嫌で部下の9割が辞めた職場がある
- 仕事に人生を合わせるのではなく、人生に仕事を合わせる生き方を
- 自分の行きたい人生に合わせて仕事や住む場所を変えるほうがより良いのではないか
- 家族が一番、仕事はその次な人が圧倒的に多い
- オーストラリアでも日本でも大して変わらない部分はある
- 仕事探しは知り合いが多いほど有利
- 社内で人を探すこともある
- 知り合いからネットに載る前の情報を手に入れられる
- 声を挙げなければ評価されづらい(再認識)
- ミーティングで黙っているのは悪ですらある
- 意見を言わない=意見を持たない人間と思われる
- https://twitter.com/PostgradBrissie/status/1159042410074128384
- でも声を上げすぎるとバラされる
- ミーティングで黙っているのは悪ですらある
- 何でも屋より特化型人材の方が有利
- 日本では何でもそれなりにできる人を求める傾向が強い。オーストラリアでは特定の分野に秀でた人を求める傾向が強いし、そういう人のほうが仕事は得やすい
- ただし、小さい会社(ソフトウェア開発)では複数の役割をすることがよくある
- 仕事をする上で必要な英語力があればいい
- うまいほうがいいのは当たり前。でも完璧である必要はない(そもそも完璧な英語とは?)
- 就職するには業務知識のほうがより重要
仕事よりも家族
上司に言われたことの中で、強く印象に残っていることがあります。
数年前、入ってきたばっかの同僚がしょっちゅう子どもの迎えだなんだで3時とかに帰っていたときがありました。
その人はオレよりスキルあるけど意外と仕事が早くなくて、予定以上に時間がかかることがよくあったんです。
で、ある日その人のことについて上司にちょろっと触れたんです。
はっきり覚えてないけど、彼早く帰るね的なことを遠回しに言ったと思います。
内心では大丈夫かねあの人、仕事ちゃんとやっとるの?と思っていたんです(言ってはない)。
すると上司にこう言われました。
「みんな、家族が何より大事なんだ。子どもがいればなおさらだよ。仕事はその後だ。ギリギリはそういう生活はしてこなかったかもしれなかったけど、みんな自分の家族や生活があって、それが一番大事なんだ。」
この時日本との違いをはっきり感じました。
日本だとともかく仕事優先だったし、周りもそうでした。
先輩の中には二人目の子どもが生まれたばっかなのに家に帰るのは毎日深夜、そのせいで奥さんと喧嘩続き、子どもの顔を見る暇もないという人もいました。
自分としても、上司にこう言われる前までは仕事を優先することしか頭になかったし、仕事より先に来ることが無いも同然だったので、不思議な感じがしたのを覚えています(友達と遊びに行くとか旅行に行くとかは大事やけど、当時の優先度としては仕事より下にあった)。
この時からかな、どういう人生にしたいのかとか、どう生きたいのかとか考え始めたのは。
35過ぎになってようやくこういう事を考えるようになったのはちょっと情けなくも思うけど、この上司の発言はとても良い学びであり、気づきでもありました。
(当然やけど、上司は仕事が大事じゃないという意味では言ってないしオレもそれを理解している)
永住ビザの取得
さて、永住ビザについて。
大学卒業後は卒業ビザという労働もできるビザを取って働いていました。
そのビザがあと2ヶ月くらいで切れるというときに、当時の上司がいろいろ気を使って人事と話を進めてくれたりして、永住ビザ取得に向けて協力してくれました。
そして2019年に永住ビザ取得。
いい上司、いい会社、いいタイミング(コロナ前&プロジェクト予算が多かった時期)などが重なって、会社がビザのスポンサーになってくれたのは本当に運が良かったと思います。
永住ビザがおりた旨のメールを見た時は、喜びよりも「やっとか・・これでビザのことを気にせずに済む」という安堵感みたいな気持ちの方が圧倒的に強かったです。
永住ビザ取得後の燃え尽きた感
永住ビザを取ったあと少しして数ヶ月感じた、燃え尽きたような感覚はやばかったです。
ワーホリ、学生、社会人を通して何年も続けてきたことが達成され、
もうビザの期限に追われることがなくなったという安堵感、
そして、そもそもオーストラリアで一番手に入れたかった「人間らしい生活(それなりの給料をもらい、まともな時間に仕事から家に帰り、自分の時間をゆっくり過ごす)」がすでに達成されていたこともあって、完全に気が抜けてしまいました。
仕事ですらもいい加減になっていました。
あの感覚、半年くらい続いたかも。
時が経って徐々にその感覚が薄れていったんですが、
あの感覚はいい経験でした。
人は何か目標があった方が意欲が出るし、
無い(失う)と人生で向かう方向を失いやすいなと再認識。
永住ビザはしたいことを実現するための手段
振り返りとはちょっと違うけど、話を少し。
以前から、永住ビザの取得を(最終)目標にするのは避けた方がいいみたいなことを言ってますが、それは上のような経験をしたからというのが大きな理由の一つです。
永住ビザはあくまで、オーストラリアでしたいことを実現するための手段に過ぎないからです。
永住ビザを取った途端、何もせずとも魔法のように高給の仕事が舞い込んでくるわけでもないし、突然友達ができるわけでもないし、突然人生バラ色になるわけでもない。
永住ビザを取ったあとも人生は続くし、自分次第で人生どうとでも変わります。
もしかしたら、日本での生活よりしんどくなるかもしれません。
また、他国で生活するのは母国での生活と違うので、
無自覚にその違いを感じ取って自分でも気づかぬうちにストレスを感じることはあると思います。
そんな時、興味のあることでも目標でも何でも、自分が向かっていける何かがあるといいなと、これまでの経験で感じたわけです。
オーストラリアでどう生きたいか、何をしたいかが明確な人は強いです。
人生充実しやすいと思います。
永住ビザは魔法の杖ではないし、人生はあくまで自分次第。
永住ビザをとって燃え尽き感を覚え、この考えはより強くなりました。
ワーホリや学生の中には、オーストラリアに住みたいと思う人が多いと思います。
そんな人達にもし何か伝えるとしたら、永住ビザを取ったあとどう生きたいかを考えてみて、と伝えるでしょう。
最後に
大学卒業~現在までは、ワーホリ、学生の頃と比べると変化が少なかったです。
ただ、そんな中でも学びは多くありました。
ワーホリと大学生時代にいろんな人に助けられ、社会人になってからも助けられました。
これからもいろんなことを学び、いろんな人に助けられながら生きていくと思います。
この10年で得た経験、学びが、今後の自分の人生に活かせるか。
全ては自分次第。
次回は、この10年の中で思ったこと、見つけたことなどをつらつらと話していく予定です。
では!
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